なんとなく実験しています

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日々のアウトプット、メモ帖、備忘録として

※正解は一つではないです。選択肢の一つとして参考にしていただければと。

哀愁の秋

思えば1年前は不幸が続き、涙が乾くことがない秋でした。
あれから早いもので1年。

1周忌で故人を偲び、、、ということもなく、秋を感じています。

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我が身うちには無縁と思われた相続争い?や諸々の事情?のため?法事は内々でやるからと言われただけで、私たちの知らぬところでひっそりと行われたもよう。

故人は賑やかな場が大好きだったのになぁ、、、と思いつつ、遺されたものたちがいがみ合ったままなら仕方ないのかとも。
1周忌などの法事は、腹を割って話すチャンスでもあったり、いろんな感情は別にして故人を偲ぶだけと割り切ってもいいのになぁ、などなど部外者で何も知らされない者にとってはやるせない思いも少なからずあります。

叔父が大事にしていた昔からの田舎の土地を残していきたい気持ちも大切にしたいし、、、各自の現在の生活も大切だし。


家族、、、兄弟、親子、夫婦、恋人、友だちと、一度は信頼し濃い絆で結ばれたいろんな関係でも、崩れてしまうときは呆気ないものです。

生徒との関係もそう。
教諭側「受験勉強、頑張って❗」って気持ちの激励のつもりで肩をポンとしても、、、
受けとる生徒との信頼関係ができていないと、とんでもないことになります。
信頼関係があれば、生徒も喜んで「はい」と嬉しそうに微笑みますが、、、
嫌いな先生にされたら、「気持ち悪いから触らないで」「もっと勉強しろってこと??これ以上追い詰めないで。」「殴られた」と受けとる側の心理状態でかなり意味合いが変わってしまいます。

親類同士のいざこざも、お互いに不平不満があり、どちらにも言い分があるでしょうが、私たちには何も知らされず詳細は不明なので、何が大変なのかは想像も全くできません。

母にしても全く何も言わないし、聞いてもはぐらかし、また私たちが行くのも嫌がる始末。私たちに少なからず関わることもわからないので、洗脳でもされているのか??と、もともと仲がいい方ではないので不信感が募り、きっと大変な状況のハズなのですが労うこともできません。まぁ、母もこちらを全く信用していないのだから上手く行くハズもなく仕方ないのかな。

故人が生前にこうして欲しいなーといくら言っていても、結局は遺された人々の都合のいいようになっていくのものだとしみじみ思った1年でした。